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2023/12/15

投資の儲けは「ずるい」のか?


拙著で「家族など近しい人に資産額を公開するかどうか」についてコラムで書きました。結論は書籍のほうへ譲るとして、ここでは書籍では諸般の事情で入れ辛かった部分を補足として書きたいと思います。

私が思うにこの問題の根幹は、普通の人が持っている「投資での儲けはずるい儲けなのだから、それはあぶく銭である」という認識ではないかということです。

なぜ投資の儲けは「ずるい」と思われるのか。

それは、普通の人にとっても働いてお金を貯めることは大変だ、ということは自身も労働をした経験から深く同意できるが、それ以外でできたお金は働いた訳ではないのだから、楽に出来たあぶく銭である、という論法になっているのではないか、ということです。

なお、それならその「ずるい」方法は誰にでも開放されているので、あなたもやればいいのに、といっても絶対にしないのもご存知のとおりです。

つまり普通の人にとっては投資で得たお金は、前澤さんのお金配りでもらったお金や、ギャンブルや宝くじで当てたお金、相続で転がり込んできたお金と同列であって、「働いて得たお金とは種類(色)が違う」ということなのでしょう。いわゆるお金のメンタルアカウンティングです。

さらにその投資でできたお金が過去の出来事だったりすると、なおさらその認識に拍車がかかることになります。

まるで10年前に車にひかれそうになって危ないところだった、といった昔話程度で
「へーそうなんだ、運がよかったね」
「でも死ななくてよかったじゃん」
で終わりです。

投資で言えばリーマンショックで死にそうになりながらも1億儲けた、という事実があっても
「運がよかっただけだよね」
「で、とりあえず今そのお金残ってるんでしょ。じゃあ奢って」
となります。

とにかくこういう信念を固く持っている人に資産額をしられてしまうと

「私に奢ってくれて&貸してくれて「当然」であって、それをしないのは「ケチ」だ。だってあぶく銭だもの」
という反応が返ってきます。こうなるとあなたの評価は奢ってゼロ、奢らなけばマイナスとなり、どちらに転んでもプラスには1ミリもならないのです。なので、こういう人は絶対に資産額を知られてはいけない相手と言えるでしょう。

ところがまずいことに世の中には結構な割合でこういう人はいるように感じます。だって「投資はギャンブル」「額に汗して働く」というフレーズにあるように、そもそも日本では子供のころからこういう教育を受けていますからね。あながち本人のせいとも言えません。

それとは逆に今この記事を読んでいるような方は投資の経験があるでしょうから、投資の利益とはそんな簡単なものではないことは重々ご承知の事と思います。

それは長期に渡って節約を重ね、さまざまな誘惑に耐えて作った種銭を市場に晒し、リスクに対する恐怖を乗り越え、精神をすり減らし、修羅場を超えて手に入れた尊いお金である、と誰に教わるでもなく自身で気付いて理解していることと思います。

しかし残念ながらそんな認識は株クラの中だけでしか通用しないことを理解しておくべきでしょう。

私は書籍でこの世間の誤解を少しでも解きたいと、リーマンショックやコロナショック時に実際に投資家がどれだけの葛藤とリスクを負っていたかというエピソードを、これまでの本より丁寧に書いたつもりです。
なので、もしこれを読んで頂ければそういったところを少しは理解頂けると思うのですが、残念ながらそもそも普通の人には興味を持って読んでもらえない確率のほうが高いかもしれません。

そういうところに興味がないからお金が貯まらないのか、ある程度のお金が貯まらないから興味がわかないのか、卵と鶏の関係?なのかもしれませんが、この点は歯がゆいですね。

ただFIREが可能になる程度の資産を作った暁にはこの世間一般の認識を受け入れ、少し自分のことを俯瞰して周りがどう見ているのかを理解したうえで行動する必要があると思います。

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2023/08/12

ぼくが投資で3億ためてFIREした話〜2008年 リーマンショック その4~

     


 

それから数週間後、ぼくが記念で買った銘柄はどれもこれも、強烈な戻しを見せていた。経済が崩壊し恐慌や戦争も起きかねないこの状況を鑑み、政府が銀行を救済しFRBは一気に非伝統的な資産を買い入れる金融緩和を行ったからだ。これによりリーマンショックという、100年に一度級の資本主義の危機はようやく収拾に向かっていったのである。

 

結果的にいろいろな葛藤の中でぼくがやった行動は、暴落時に見込みのなくなった株を売ってこれから成長が見込める株に入れ替えるというものだった。実はこれ、運悪く暴落に巻き込まれてしまった場合に唯一できる最善の行動だったのである。

どんな時でも市場に居続けるのは株の鉄則だ。であれば、暴落時にできる事はこれしかないのである。ぼくは偶然そのような行動をとっていた。これにより資産は再び一千万円を回復し、ぼくは首の皮一枚で退場せずに済んだ。

 

ところで一般的な話になるが、人が成功するために必要な能力は二つあると思う。それはチャンスをチャンスとして認識できる能力と、チャンスを増やすために不断の努力を続けられる能力だ。結婚や仕事、その他なんでもそうだ。しかしながら、普通は最初の「チャンスを認識する事」もなかなかできないものである。

人はなぜチャンスを認識できずにスルーしてしまうのだろうか?ぼくが思うに普段から考えていないからだと思う。
 これはある人から聞いた話だが、人は見たものや聞いた事のほとんどを脳のどこかに記憶しているそうだ。確かに覚えようとしていなくても、この文章どこかで読んだことがあるな、とか、この景色どこかで見たような気がする、という経験は誰にでもあるだろう。でもそれは無意識の範囲の記憶であって、通常の生活で思い出されることはない。

しかし、何かについて必死に考えた後は、人は何かを見たり聞いたりした拍子にその無意識の中から関連するものが呼び起され、何かに気が付く、というか引っ掛かる感覚を覚えることがある。これがチャンスを認識するという事だとぼくは思う。

だからその無意識を最大限利用するには、常に解決したい事に関して問題意識を持っている必要がある。株についてもずっと考えていれば自ずとチャンスは見えてくると思う。

そして株の場合においては、暴落はチャンスなのだ。なぜそんな絶好の球を見送りにしてしまう?暴落は思いっきりバットを振るタイミングなのだ。しかも結婚や仕事では自らチャンスを作るための努力も必要だが、株式投資のチャンスは待つしかない。つまり発見するだけで良いのだ。これはある意味楽かもしれないのだから、チャンスと見たら思い切り動くべきだ。

 

さて、ここでやや唐突だが、この話のタイトルにあるようにぼくは最終的に資産3億を達成する。

この時の買い注文クリックは、まさにそれを現実のものとするための大きな分岐点だったといえる。一度諦めたその先でのこの買いは、資産どころかぼくのその後の人生そのものを一変させるほどの大きな分かれ道だった。まさに1クリック3億円の価値である。もしこの1クリックが無かったら、ぼくの人生は全く違うものになっていたはずだ。

なお、ふりかえってみれば目標を達成するために大きな分岐点は2つあった。その一つ目はまさにこの時、2つめの話はまた後ほどしよう。

【書籍(現在出版準備中)へ続く】

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2023/08/11

【重要なお知らせ:Twitter(現X)からの転載】

当ブログで連載中の「ぼくが投資で3億ためてFIREした話(仮)」が、なんと、彩流社さんより書籍として出版されることになりました!よろしくお願いいたします<m(__)m>。経緯を詳しく説明しますね。

この連載を始めて間もなく、SNSでお世話になっている方から出版のお誘いを頂きました。しかし私は本のネタを持っていなかったので、それなら今連載しているこの話はどうですかね?と提案したところ、編集者の方をご紹介いただきました。

そこで編集者の方に今後の展開を一通りお伝えしたところ、有難いことに非常に前向きなお返事を頂きました!

しかしひとつ気掛かりなのは、出版となるとどうしても無料のブログよりは手軽さという面で届く人の数は減ってしまう事。その点どうしようかな、と正直迷いました。

しかしまず出版はプロの編集者により格段にクオリティは上がります(これはありがたい)。そしてブログは瞬間的に消費されていくが、書籍は地道に長期間残ります。だとすると結果的にこちらの方が多くの人に届くのではないか?と思いました。

私としては「クオリティ高い物を出来るだけ多くの人に届けたい」のが一番ですので、総合的に判断して書籍化に全力を尽くすことにしました。

一方、ブログの連載はどうするのか?という点ですが、出版社と話し合ってこのままリーマンショックの章までは継続することをご了承頂けましたのでそこまでは続け、それ以降は書籍へ譲ることにしました。

書籍のボリューム的には、この後の展開の方が分量も密度も多いので、体感ですが公開済みの3倍くらいになると思います。

さらに書籍では、これまで公開してきた部分についても編集者の手で大幅に改善されることはもちろん、私自身も内容を加筆する予定ですので、ここまで読んでくれた方でも新しい発見ができるモノになるよう努力しています。

発売は今冬の予定ですので、その際はぜひ手に取って頂ければと思います<(_ _)>

著者名は「北原 銀二」となります!どうぞ宜しくお願い致します!

2023/08/05

ぼくが投資で3億ためてFIREした話〜2008年 リーマンショック その3~

     


 

それから数日後、ぼくはあるカフェにいた。仕方なく重い腰を上げて敗戦処理を始めるためだ。

パン屋と併設されているこのカフェの窓からは緑と湖が見え、早朝過ぎると客はまばらになる。これは少し気分を変えて仕切り直しについて考えるにはちょうど良い環境に思えた。相場を見ると吐き気がするのは相変わらずだったが、毎日自分の資産がめちゃくちゃになっていくのを見て見ぬふりするのはもっと辛い。ならば、とりあえずこの一番嫌な作業だけはなんとか終わらせて、終わった後にしばらく休もうと思った。

 

当時のぼくのポートフォリオの内訳は、中国株をメインに日本の配当株などをサテライトで投資したものだった。中国株の保有銘柄は日本人に人気になっていたものが中心で、特にヤラレがひどかったのが万科企業と言う不動産銘柄だった。たしか買値の10分の1になっていたと記憶している。

ぼくはまずこの万科企業を損切りした(※1)。1つ損切りすると少し気が軽くなって、この勢いに乗って日本株を含む他のものも損切りした。口座残高は見るも無残となっていたが、これ以上減ることがないと思うと少しほっとしたのは確かだった。

翌日、我に返ったぼくは、あれこれ考えていた。そこで初めて気付いたことだが、ぼくが投資していた中国株よりも震源地であるアメリカ株の方が断然ヤラレは少なかったのである。なぜ爆心地であるアメリカがのうのうとしているのに、ぼくが資産を数分の一に減らさなければならないのか。当時は納得がいかなかった。

 

少し脱線するが、これについて今現在思うところを少し述べる。

 

端的に言えばぼくは強烈なレパトリエーションに巻き込まれてしまったのだ。例えば市場規模が10A市場と、5B市場があったとしよう。投資家が両市場ともに3の量を投資していたとする。

それが今回のようなショックが起きて市場からお金が引き上げられた場合、市場に残るお金がどうなるかというとA市場が7/10B市場は2/5となる。通分すれば7/104/10だ。その結果、B市場の方がダメージは大きいのである。もちろんA市場がアメリカ、B市場が中国である。特にリーマンショック前まで中国株は世界中で人気だったので、相当の量が世界から投資されていたはずである。それが全部引き上げられたとなれば中国株がダメージを受けるのは当然だったといえよう。

ぼくはこうして煮え湯を飲まされてしまったのだ。しかしこれは、このあとぼくがアメリカ株に転向する一つの要因にもなった。

 

話を元に戻そう。

 

ぼくは残ったなけなしの600万円を前にこれからどうしようか悩んでいた。もう株は辞めるとしても、日本のどこにもこのお金の持って行き場所はなかった。そもそも株以外の投資先がなかったから株を始めたのだから当たり前である。でもその株ももうだめだ。

そう思いつつ、ぼくはパソコンを開いて虚ろな目でいくつか過去に欲しかった銘柄を見ていた。何か目的があって見ていたわけではない。考えがまとまらず、ぼくの指が長年の習慣から勝手に動いてパソコンを操作していただけだった。

そこにはどれもこれも、見るも無残な株価が並んでいた。一時はあれだけみんなが欲しかった憧れの銘柄。PERで割高になって買えなくなると、PSRで見れば妥当だとか、割安でなくても良い銘柄ならいつでも買う方が良いとか、誰もがむりやり自分を納得させてまで買った銘柄達。それらが全て、今まさに捨て猫のような株価で放置されていた。

 

ぼくが若い頃「たまごっち」という大ヒット商品があった。どこに行っても品切れで、入荷情報があれば店の前には徹夜で長蛇の列が出来た。一部では定価をはるかに上回る値段で取引されていたようだ。

しかしそのたまごっちもブームが過ぎると店頭に山積みとなった。投げ売りの末期では3個で1000円でも誰も見向きもしなかった。ぼくは心に何か悲しい思いがしたのを覚えている。このリーマンショックは、脳裏にそんな思い出がフラッシュバックするほどだったのである。

 

この時、ぼくはふと思った。ぼくのこの5年間の人生を捧げた記念として、また今回のこの過ちを忘れないようにするために、あえてこのゴミのように捨てられている株を拾ってやろうかと。

―――もうどうでもいいんだこんな金、こんな金持ってるから思い出すんだ―――

―――毒を食わらば皿までだ―――

そう思ったぼくは、そこに並んでいるアリババ、テンセント、Google、米国高配当株(のいくつかを纏めて自分でバスケットにしたもの)の中から、アリババ、Google、高配当株の3つを選んで200万円ずつ投資した。

 

なお、この時テンセントを選ばなかったのは、その後10年間の投資人生の中で最大のミスとなった。


1 このときの約定価格は、なんと万科企業のリーマンショックザラ場最安値。リーマンショック時の万科企業を最安値で売ったのは私でした。。。

【次回、リーマンショック編 最終回へ続く】

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2023/07/29

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜2008年 リーマンショック その2~

     


 

さらにぼくの受難はこれだけでは終わらなかった。

ぼくが株に入れ込んでいると言う噂は会社の同僚に知れ渡っていた。もちろん自分から積極的に公言したつもりはない。しかしなんせ頭の中のほとんどは四六時中株のことを考えていたのである。こうなるとなかなか隠し通せるものでもない。何かの雑談の拍子にぽろっと本音が出ていたのだろう。

そしてテレビやネットでは連日、リーマンショックの話題でもちきりなのだ。同僚たちからしたら、このぼくの状況は「メシウマ」以外の何物でもなかっただろう。ろくに仕事もできないくせに、一発逆転を夢見て株なんていうギャンブルになけなしの全財産を突っ込んでいたキチガイが大損したに違いない、と。

そしてそんな同僚たちの財産は全額円預金でびくともしていない。いやむしろ(彼らはその意識はなかったと思うが)強烈な円高によりその価値は大きく増していたのだ。するとちょっと軽い気持ちでからかいにくる者も現れる。

 

「株、すごい下がってるみたいだけど大丈夫?笑」

「株、まだ下がるってテレビで言ってるよ!どうするの?笑」

 

青い顔で廊下を歩いているぼくにすれ違いざまや、自席で仕事が手につかなくなっている時、入れ替わり立ち代わりそんなことを半笑いで冗談交じりに話しかけてくる同僚や上司たち。

もちろん彼らに悪気は無いだろう。ぼくがそんな精神状態になっている事など知る由もないのだから、本当に軽い世間話のつもりであろう。しかし当時のぼくにはそれを笑いに変える余裕はなく、ただただ苦笑いでその場をごまかすことが精一杯だった。

しかしまだ明るい昼間なら良い。夜は本当につらい。夜暗くなってから歩いて帰っていると、何かに押しつぶされそうな感覚を覚えた。

 

株は結果が全てだ。ぼくは負けた。一時は心の中でバカにしていた「同僚達の方がバカ」なんてのはとんでもない話で、バカなのはぼくだったんだ。

そもそも彼ら優秀な同僚なら投資をやらせてもぼくより上手くやったに違いない。頭も要領もよく仕事も出来る彼らなら、きっとそうだろう。そんな優秀な同僚たちでさえ、ぼくが株にうつつを抜かしている5年間、必死に仕事でスキルを磨いて実績を積み上げていたのだ。どちらが正しかったのかは言うまでもない。ぼくはこの時30代半ば。もう絶対に彼らには追いつけないだろう。

 

ぼくはウサギとカメのカメだ。しかし昔話と違うのは、ウサギである同僚たちはその高い能力で休まず走り続け、能力の低いぼくは怠けていたのだ。この差はもう埋め切れないほど広がっていた。これが本当の社会だ。強いものはより強くなり、弱いものは淘汰される。現実世界で勝つのはウサギであってカメではない。なぜこんな当たり前のことに今更気づいたのか。もう負けを認めよう。負けを認めてやり直そう。

ぼくは物事に失敗した時、いつもやることがある。まず落ち着いて、今もっているものを確認して、これを元にどう再構築していくか考えるのだ。ぼくは負けを認め、心を入れ替えて新人になったつもりになり、優秀な同僚がいかんなく能力を発揮できるよう、サポート的な業務から地道にやっていくしかないのではないか。そんなことを考えながら帰宅した。

 

暗い夜道を歩いて帰ってから少し食事などをしてみたものの喉を通らない。まるで脳の中心に大きな鉛玉を埋め込まれたようだ。少し別のことをしてみようと思いぼくはパソコンをつけた。

そうだ、世の中にはぼくと同じような思いをしている人もたくさんいるに違いない。彼らはどうしているんだろう。そう思ったぼくは株式掲示板を見に行った。そこは次のような書き込みで溢れていた。

 

「なんで下がるってわかってるのに株なんて買うの?バカなの?」

 

「買い豚の皆さん、今日もご馳走様でした!(^^)

 

「ホルダーのみなさん今どんな気持ち?ねぇねぇ^ ^

 

ぼくはそっとパソコンを閉じた。そして翌日もその翌日も、相場は下げて行った。掲示板の彼らの言うことまで正しかった。

いや、掲示板だけではない。日経やブルームバーグ、テレビの経済専門番組といったトラディショナルなメディアも、学者やエコノミストといった識者も、言葉はきれいだが全て言っている事はほぼ同じだった。

世界で間違っているのはぼくだけだった。

【次回へ続く】

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2023/07/22

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜2008年 リーマンショック その1~

     


 

その危機はひたひたと訪れた。ドットコム・バブル崩壊から立ち直ったアメリカでは、サブプライム証券なるものが発明されていた。

サブプライム証券とは金融工学を駆使し信用力の低い債券をまとめることでリターンあたりのリスクを下げ、ミドルリスクハイリターンと言う魔法を実現したデリバティブ商品だ。好景気にこれもあいまって信用は膨張し世の中にはお金が溢れ、アメリカ経済は大きく成長していた。

しかしそのデリバティブが内包するいくつかの債券にデフォルトが発生し、それが一定の閾値を超えた瞬間、魔法は崩壊した。アメリカ中のほとんどの金融機関がそのデリバティブを保有していたため銀行同士が一切他行を信用できなくなった結果、全くお金が流れなくなり、完全にアメリカの血液が止まった。金融システミックリスクである。

 

これを例えて言うならば、大量に保有していたヴィンテージワインの樽に泥が一滴混じっていたことが突然わかったようなものだ。一滴でも泥が混じったワインは無価値だ。資産だと思って大事に保管していたワインが、ある日突然無価値になってしまったのだ。しかもまずいことにそんなゴミを誰が持っているか分からないのだ。

―――あいつも持ってるんじゃないか?こいつも持っているんじゃないか?―――

疑心暗鬼になったアメリカの金融機関は、誰一人他人にお金を貸さない、という状況に陥っていた。これにより特にサブプライム証券の持高が大きかったリーマンブラザーズが破綻、リーマンショックと呼ばれる株価の大暴落が発生したのである。

このリーマンブラザーズが救済されず破綻、という衝撃的なニュースが意味するものは、この後に控えているもっと巨大な金融機関が次々と連鎖的に破綻していく事を意味した。この事実で、市場の恐怖は絶頂に達した。そしてこの世のものとは思えないほどのパニック的な大暴落となったのである。

 

市中からドルが全く無くなってしまったため、この日のFXでのUSDスワップはとんでもない数字だったのを覚えている。レートもすべての通貨で軒並み5%から10%も動く大波乱の殺人的相場となった

これだけ突然動けばレバレッジを掛けていたら即死だ。しかしFXでノーレバレッジの者などいない。インターネットのFXスワップ派のブログは阿鼻叫喚のるつぼと化し、そして少しの間をおいて全てのブログの更新が止まった。

その様子は、まるで戦場でつい先程まで息のあった負傷兵が、暫くして再度声を掛けたら絶命していたかのようだった。

――死んだか…(相場での退場)――

ぼくはそう思った。しかしこれはもう不可避な出来事だった。そもそも損切り注文しようにもレートが飛び過ぎて約定しないし、サイトによってはその注文自体もシステムエラー頻発で出せないのだ。できる事といえば取引会社から来る信じ難いレートでロスカットされた報告メールを待つ事くらいだ。もはや誰もが座して死を待つしかなかったのだ。

右を見ても左を見ても死体の山、息をしている者など一人もいない。株式・債券・為替・商品、どこの市場を見ても血みどろのまさに地獄のような光景だった。

この資本主義始まって以来の大事件は100年に一度といわれ、資本主義は終わった、これから一体どうやってこの社会を再生していけば良いのか、と世界中の誰もが途方に暮れていた。

 

そしてこの大嵐の中、ぼくの資産も深刻なダメージを受けていた。

それでもこの暴落の直前までは、ぼくの資産残高は年初からジリジリと下がっていたものの、かろうじて投資を始めてからの累計ではプラスを保っていた

しかし、リーマンショックの大暴落は全く次元の異なるレベルだった。含み益は一瞬で消えさった。

あまりにも一瞬の出来事だったので、ぼくはどうする事もできず、ただただ狼狽えていた。これまで5年間かけて積み上げてきた含み益、それが砂上の楼閣に過ぎなかった事。それをこの短い時間でどうしても認める事、受け入れる事ができず、頭は大混乱していた。

 

しかしぼくがうろたえている間にも、暴落は一切容赦しなかった。容赦するどころか、ますます勢いを増してぼくに襲いかかってきた。

ぼくの含み益を完膚なきまでに破壊したマーケットの悪魔は、次はぼくが投資を始めてから働いて節約して、コツコツ努力して作った元本をも容赦なく食いつぶして行った。さらにそれでも飽きたらず、ぼくが社会に出てから投資を志すまでに貯めた額にまで牙をむいてきた。

この時、ぼくは学校を卒業して社会に出てから10余年。その間に築いてきたもの、それがたったの数日、10年間以上の努力の結晶が本当にたった2 3日で、大部分が消え去った。この10年間は一体何だったのか。ぼくは失意のどん底に落ちた。

この日、ぼくはマーケットという巨人に踏み殺される蟻だった。

【次回へ続く】

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2023/07/15

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜2007年 異動その4 ~

   


 

投資で金持ちを志してから2年ほどの月日が流れた。

 ぼくの会社内での評判は地に落ちていた。
楽園部署がお取り潰しになって花形部署に異動したぼくは、たった1年で同僚や上司からの信頼を失い、追い出されるように他の地味な部署へ異動となっていた。

そりゃそうだ。仮にぼくの脳を10個の並列処理装置に例えるなら、1個は自分が生きるための食事や睡眠について使い、3個は家族が生きるための様々な手続きや段取りについて使い、残りの6個うち3個は投資について処理していたのだ。申し訳ないが仕事に使っていたのは残りの3個のみだった。こんな状況では花形部署で仕事になるはずもない。

何せ花形部署はエリートでないと勤まらない所だった。英語ができるのはマストで、それプラス当然のように何らかの専門分野に長けている。文系なら国際的な会計や法律に明るく、第二外国語も当たり前。理系であれば英語ベースの論文や資料を読みこなし常に最新のレベルをキープできるような人材でなければ仕事にならない。そんな同僚たちの出身校は言わずもがなである。

世間では東大や京大なんか出ても何の役にも立たない、などと言う人がいるが、あんなものはうそっぱちだ。彼らは大体において集中力を持続できる時間が驚異的に長い。長すぎる。ぼくが10分で頭が疲れてしまうところ、何時間でもその集中力でやりきる。あれこそが受験を勝ち抜いてきたモンスターだ。

そんな中1人、今風に言えばFラン出身で、まして頭の3割しか動いてないようなぼくに何ができよう。こうなるのは当然の結末である。

 

ところでこれは余談だが、そうやってド底辺の窓際まで落ちた社員から見ると、周囲のどの社員が出世するか簡単に見分けられる。

この会社で昇進していく人というのは何事にも手を抜かず、誰に対しても差別せずサービス精神旺盛なのだ。ぼくのような底辺社員から来たメールでもすぐに返事をする。部長・本部長以上になるには、プレイヤーとしての能力プラス人徳が必要なのだ。

逆にせいぜい課長止まりで終わる社員は相手によって態度を変える。もちろんぼくの依頼は後回しだ。これはかなり高い確率で見分けることができた。ひどいケースでは話しかけても返事もしない人がいたが、その人はやはり係長止まりだった。しかもこの会社のいやらしいところは、それ以上昇進させないと決めた管理職からは露骨に部下を抜いていく。この人も最後は部下1人の寂しいチームリーダーだった。

 

それはさておき、その底辺社員がなけなしの頭を使ってやっている投資の方はどうだったかと言うと、これはソコソコ順調に来ていた。

いろいろと試行錯誤を重ねた結果、投資スタイルは成長国への長期投資に落ち着き、まずまずの成績を残せるようになっていた。金額的にそれほど儲かっていたわけではないが、投資の世界では負けないだけでも大したものなのだ。

ぼくはまあまあの高給に節約を重ね、入金力を最大にした上で年平均数%の利回りを実績として出しており、ようやく資産規模は一千万円を超えたところだった。株はかなり昔から多少嗜んではいたが投資を真剣にやろうと決めてからはまだ僅か23年だ。それでここまで来られれば及第点ではないか。

これならこの先も何とか続けていける、ぼくの心には少しそんな自信が芽生えてきた。

確かに道はまだ長い。一千万円の資産が生み出す収益は給料に比べれば微々たるものだ。しかしこれを続けていけば、きっとぼくは金持ちになれる。今仕事なんかに時間を使っている同僚たちはバカだ。これまでの人生は圧倒的に勝ってきたかもしれないが、肝心なところが抜けている。絶対に最後に勝つのは自分だ。ぼくはそう意気込んでいた。

 

しかし、その意気込みは長くは続かなかった。その時は突然にやってきた。

2008年、最初はジリジリと下がるだけだったのだ。それが突然あんなことになるなんて、予想だにしなかった。

【次回へ続く】

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2023/07/08

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜2006年 異動その3~

  


 

ひとまずこの仕事を続けることにはしたものの、このままでは埒が明かない。なんとか食い扶持があるうちに次の一手を考えなくてはならない。そこでまず、ぼくは世の中の金持ちが一体どうやってそうなったのかを調べてみることにした。

幸いなことにこの時期になるとすでにインターネット上に様々な情報が上がっており、ほんの10年前では一般人は絶対知り得ないような情報まで簡単に手に入れられることができるようになっていた。ぼくは毎晩毎晩、貪るようにそういった情報を集めた。するといくつかのパターンが見えてきた。

まず金持ちと言えば金持ちの家に生まれなくてはならないと思っていたが、実はそうでもないことがわかってきた。もちろんそういう人物もいるにはいるが、むしろそれは少数派で、桁違いの金持ちの経緯は大体以下の3種類に分けられる。

 1つは類稀な才能を持っているパターン。スポーツや芸能など、その才能をいかんなく発揮し金持ちになるパターンだ。

 2つ目は起業して成功するパターン。これが1番多い。

 3つ目は投資で成功するパターン。しかしこれはおそらく1番少ない。ざっと調べた範囲では成功者の10分の1位ではないだろうか。もしかすると金持ちの家に生まれるよりも少ないかもしれない。

 さて自分はどうするか。

データから考えると起業するのが1番いいのだが、ぼくにカリスマ性やリーダーシップがないのはすでに述べた。だからといってぼくはスポーツも漫才も出来ない。小学生の頃から才能でクラスのみんなから一目置かれたことなど1度もありゃしない。これはやらずともダメなのは明白だ。

すると消去法で投資をするしかなくなる。金持ちへの道としては1番狭き門だが、仕方ない。ぼくにはこれしか残されていないのだ。やむを得ない。

ということでぼくは投資をすることにした。

それからと言うもの、ぼくは投資の勉強を本格的に始め、頭の中では仕事はソコソコに投資でいっぱいになった。


【次回へ続く】

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2023/07/01

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜2004年 異動その2~

 



  この時期、ぼくの頭の中ではいろいろな思いが渦巻いていた。

まずここは前の会社のようなワンチャンスは一切無いが、しかしながら冷静に見てソコソコ高給であるということ。そして自分はここではやっていけないと思うが、だからといって次にするあてもないという事だ。ぼくはごちゃ混ぜになった頭で、これからどうするべきか考えていた。

まず高給とはいえ役所のような会社だという事は、簡単にこれから後30年後までのレールが予想できてしまうのである。それはおそらく生活には全く困らず小金持ちにはなるけれどもそこ止まり。
 そんなちっともワクワクしない、わかりきった未来のために、つまらない仕事をあと30年やる、といった具合だ。これをぼくは「なんだかな」と感じていた。

そうはいってもぼくの1番の苦手はチームワークであり、カリスマ性なんか全くないのである。こんな人間が会社を飛び出て、起業して1発逆転、なんて成功する気がしない。

 さてどうしたものか。

 こんな時、どうすべきか決めるのにぼくがいつも使っている方法がある。これをすると良い解決方法が見つかりやすいのだ。それは自分が不平不満に思っていることを書き出して、もし自分の子供が自分にそれを相談してきたらなんとアドバイスするか考えてみるのだ。すると視点が主観から客観に移り、冷静に自分の状況を見られるのである。

ぼくの今の状況を子供が訴えてきたら、自分ならこう言い聞かせるだろう。

「やりたい事がはっきりしているならやるべき」

「そうじゃなく、それが分からないとか自分が何に向いているか分からない、とか言ってる奴は、ただ単に何もできないだけの奴ちゃう?」

「そんな奴に文句を言う資格はない。ごちゃごちゃ言わずに今の仕事やっとけ!」

 

はい、ごもっとも。とりあえずぼくは今の仕事を続けることにした。

【次回へ続く】

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2023/06/24

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜2004年 異動その1~

  


 

〜〜〜 2004年 異動その〜〜〜


新しい会社に入社後、ぼくは比較的順調に過ごしていた。机や椅子がくたびれていたり、食堂のランチがまずかったりと職場環境がもう一つだったのは相変わらずだったが 、とにかく労働時間が短いのに高給なので前の会社よりもずっと楽に稼げていた。

仕事はそれほどエキサイティングではなかったが、こんな感じで人間的に暮らしていけるならこれもありかな、と思い始めていた。しかし入社して1年ほど経ったころ、そんな楽園は突然終了となったのである。

 

これは後からわかったことだが、ぼくがいた部署が楽だったのは会社に多大な功績を残した部長の定年までの居場所として、会社が見てみぬふりをして放任していただけだったのである。その部長が定年退職になると、当然のごとく部は即おとりつぶしになり、部員は他部署へ散り散りとなっていった。

 

そんな中、ぼくは会社でいわば花形部署に配属となったのだが、そこでこの会社の本当の社風を知ることとなった。

新しい部署はとにかく裁量がなかった。どんな細かいことでも上司の確認が必要だった。そこで仕方なく上司に話にいくと、上司もまた裁量がないので、いろいろと細かいツッコミを受けた挙句、○○さんにも聞いておいて、とたらい回しされる始末。ぼくはこの会社では一体だれが決めるんだ?と困惑した。とにかくこれでは仕事は全く進まない。

最も驚いたのが、部長でさえこれは〇〇さんに聞かないと…と自分で決められないことだった。平社員ならともかく、部長になっても同じなのでは経験を積めばだんだんと裁量がついてくると言うものでもないらしい。これには本当にたまげた。

そういえば入社直後に楽園部署の先輩から「この会社は役所みたいな会社だよ」と聞いたことがあった。その当時は意味がわからなかったが、なるほどこういうことか、とここで初めて理解した。

 

そしてまずいことに、ぼくの能力で1番欠けているのはチームワークであり、ぼくが最も嫌いなのはホウレンソウ、つまり報告・連絡・相談なのである。これだけでも普通にサラリーマンとして終わっているが、こんな役所のような組織で働くには輪をかけて不適性と言えよう。前の会社でこの弱点が露見しなかったのは、社員に与えられる裁量が大きかったためである。

その上、楽園部署とはうってかわり仕事は普通に激務だった。深夜2時退勤、翌朝8時出勤などはザラ。これは当たり前と言えば当たり前で、楽園部署のような働き方で会社はこんな良い業績が出せるはずがないのである。どの部署でも馬車馬のように働くのが普通なのである。

ここまで来て、しまった!俺はここに来る人間ではなかった、と気づいたものの既に後の祭り。いまさら前の会社に戻れるはずもないし、そもそも前の会社はとっくに倒産してしまっていた。

 

これは大変なことになった、俺はここではやっていけない、そう思った。


【次回へ続く】

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2023/06/14

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜2002年 転職~

 


〜〜〜 2002年 転職 〜〜〜

ぼくは田園風景の中をひた走る電車の中に居た。車窓に流れる景色を眺めながら、ぼくの心中は大きな違和感に襲われていた。まだ何も始まっていないにもかかわらず「俺は何か大きな間違いを犯したんじゃないだろうか?」という不安にかられていた。

その日、東京の会社から関西の会社に転職が決まっていたぼくは、新しい会社の健康診断を受け、ついでに引っ越す予定の社宅の見学に行った帰りだった。

転職先の会社は前の会社よりは規模が大きく業績も良かった。にもかかわらず見てきた社宅はボロボロで、とてもそんな好業績の会社の社宅に見えなかったのである。ただ、違和感の正体はそれではなく、何かもっと闇深い、得体の知れないものだった。

 

ところでこの会社に転職することにしたのは前の会社の業績が怪しくなったからだ。前の会社は小さいながらもオフィスは一等地だったし、チームが上げた実績に応じて年1度報奨金を配るパーティーがあったりと、少し派手目な会社だった。場合によってはチームに1億円の報奨金が配られることもあった。

しかし、業績が芳しくなくなるとそういった派手なイベントはなりをひそめ、それどころか社員の3分の2を解雇するという全く逆の事態に陥っていた。ぼくはその3分の2には入らなかったのだが、ここにいても先はない、と感じ転職することにしたのである。

 

新しい会社はそういう派手さは無いものの、ベースとなる基本給が高いのと、残業代やその他の手当についても非常に手厚い会社だった。ぼくは派手な一発逆転のワンチャンスは大好きだが、前の会社でその惨状を見てきたため、結局は堅実な会社の方が良いと考えて転職することにしたのだった。

それはわかって転職したのだが、まがりなりにもあれだけ業績の良い会社の社宅なのだから、社員に気持ちよく働いてもらうために少しくらいリフォームしても良いのではないか、と思うレベルのボロボロさだった。

しかしまあ、業績が良いからといってすぐに散財せず、質素謙虚に事業を進める社風だからこそ今の業績があるのかもしれない。帰路の新幹線の車中でそんなことを思いながら、ぼくは関東の自宅に戻っていった。

【次回へ続く】

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2023/06/10

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜2022年 プロローグ~



〜〜〜 2022年 プロローグ 〜〜〜

今から退職を申し出る。

最初にFIREしようと決意してから一体何年経っただろう。ぱっと振り返っても十数年は経っているはずだ。FIREがまだアーリーリタイアと呼ばれていた時代から今日この日を待ち望んでいた。

既に退職を申し出るためのズーム会議の依頼メールは書き終えた。後は送信ボタンを押すだけだ。これを押したらもう二度と後戻りはできない。考えに考え抜いたとは言え、やはり少し緊張する。なんだかんだ関連会社を含めれば20年以上勤めた会社だ。

“緊張”は辞めるリスクに対するものではなく、まだ何か考えに漏れがあるのではないか?どこか計画に大穴が開いていたりしないか?と言うものだ。会社には何の未練もない。

――― もう何年も考えた。いまさら新しい事など何も出てきやしない! ―――

そう思った直後、ぼくは普段より人差し指をやや大振りにし、思いきり送信ボタンをクリックした。賽は投げられた。


 ズーム会議は始まった。参加者は副部長と課長とぼくの3人。ぼくの会社では退職を告げるには直属の上司とその1つ上に申し出ることになっている。ぼくはありきたりの理由を並べ退職を申し出た。とにかく辞める事は決まっているのだ。無駄にごちゃごちゃ話したくない。それには絶対に上司に引き止めの口実を与えてはならない。結局はありきたりの理由が最も良いのである。

 会社の愚痴を言うなんてもってのほかだ。そんなこと言えば、改善するから考え直してくれないか、などと言われ面倒この上ない。

――― 俺はやめたいんだよ!こんなとこ1秒たりとも居たくないんだよ! ―――

まあ引き留めなんて事はいらない心配かもしれない。なぜならこの副部長は知らない仲ではない。10年以上前のぼくの直属の上司であり、当時散々困らせた覚えがある。正直言ってぼくの事は辞めて欲しい社員と思っているかもしれない。


 一方、課長はぼくが辞めることなど一切頭になかったようだ。ズーム会議の依頼メール送信後、あれ〜本当〜?全く気づいてなかったよ〜、という妙に馴れ馴れしい返信が来た。

この上司、いつも部下とは仕事以外の話は一切せず、突っ込んだコミュニケーションなど取ったためしがない。それなのに突然この馴れ馴れしい返信。これは正直いって気持ち悪かった。
 まるで中学生が好きな女の子の前でキョドる如くイタい。ぼくは少しの間とはいえ、こんな小物の下で働いていた事が恥ずかしく悲しくなった。でもまあいい、それもこれも、もう終わりだ。 

 会議ではぼくが一方的に話し、特に慰留もなく数分間で終了した。20年働いて数分間で終わりというと普通の人なら何か悲しいと思うかもしれないが、ぼくにとってはむしろ好都合。ぼくにとってこの会議は無事退職するまでの何段階かある単なるステップの1つであり、ステップを一つ一つ滞りなくクリアしていくことが最重要なのだ。

 

 しかし、ぼくはなんでこんなに会社に愛着がないのだ?まがりなりにも20年も働いていればプロジェクトが無事終了したり、同僚に感謝されたりといった経験をしながら少しは仕事に対する喜びを感じるものではないだろうか?

実際、ほとんどの人は嫌な仕事の中からたまにあるそういった一つ一つの小さな喜びを拠り所にして、何とか定年までやって行っているのではないか。ぼくにだってそうして普通のサラリーマンとして歩む人生だってあったはずだ。

それがぼくときたらプロジェクトが無事終了し顧客が喜んでも、ただ仕事が終わったと思うだけだし、同僚に感謝されてもああ、そうですか、よかったですね、でも俺とお前は違うんだ、俺はそんなことで喜んでる場合じゃないんだ、と斜に構えているだけだった。

 ぼくはどうしてこうなってしまったのだろう。

 いつから、何がきっかけでこうなってしまったのか。

そう思った瞬間、ぼくの脳裏にこれまでの出来事が洪水のように浮かんできて、止まらなくなった。

【次回へ続く】

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2023/06/09

ぼくが投資で3億ためてFIREした話 〜はじめに~




〜〜〜 はじめに 〜〜〜

 ぼくは2022年、FIREした。

一般的にFIREのイメージといえば生活をシンプルに磨き、年間生活費を下げ、資産1億円程度を用意してスタート、といったところかと思う。しかしぼくの場合は自分含め4人の面倒を見つつのFIREとなったため、約3億を用意しての重量級スタートとなった。

 FIREした今は安堵の日々を満喫している所だが、この辺りで一旦これまでの軌跡を振り返り節目だったと思う所をまとめておこうと思う。とはいっても、これから語る話は今FIREを目指している方にとって知見になる話もあるかもしれないがメインでは無い。

 いやむしろタバコの外箱よろしく「あなたの人生を破壊する危険性がありますので決して真似しないでください」と警告を入れたいぐらいだ。

 もっともこの先を読めば、あまりの無謀さに言われなくても誰も参考にはしないと信じているが、念には念を入れて最初に断っておきたい。


 ではなぜ今更こんな話を書くかというと、それは一点のみ。FIRE希望者のみならず、誰にとっても株をホールドする大事さを伝えたいと思ったからだ。

「なんだ、そんなの知ってるよ」という声が聞こえてきそうだ。確かに株の本には大抵それは書いてある。しかしそれでも暴落などが起きると必ず心が折れて退場してしまう人が後を絶たない。こういった場面でも辛抱強く持つにはどうしたらいいのか、過去のデータから解説された本は知っていても、心理的な面から書かれたものは見たことがない。

それを理解するには知識として持つだけでは不十分で、体験を通じて腹落ちするしかない、というのがぼくの持論なのだが、それには長大な時間が必要でみんながそれをやるのは無駄だ。そこでぼくの20年の株との戦いをシェアすることで疑似体験してもらい、その時間を節約し、みんなはその浮いた時間で仕事や子供との遊び等に有意義に過ごしてもらいたいというのが趣旨だ。


ということで、そこだけ念頭に置いてもらいながら、この話はとある一人のFIRE達成者の軌跡としてお楽しみいただければと思う。そしてこんな奴でもFIREできるのだ、と自信を持っていただけたら幸いである。

ただ、一つだけFIREを達成するための“適正”はあると思っていて、それはぼくも含め実際にFIREしている人を見るとブレインロック(社会的洗脳)に掛かってない人が多いように思える。

「お金の話をするのは卑しい」とか「大人になったら働くのが当たり前」「投資はギャンブル」と言った類いのブレインロックだ。

育ってきた時代を考えると普通なら必ずそういう洗脳が掛かるはずなのだが、そういう人たちは努力して外すのでなく、なぜか最初から掛かっていない人が多いようだ。ぼくも勿論そうだった。もしあなたがそういうブレインロックがかかっているなら、もしかするとこの話は一部嫌悪感があるかもしれない。その場合はいったんそのブレインロックを外して読んで頂けたらと思う。


 記述にあたってはクズなエピソードも含めて出来るだけそのまま書くつもりだが、身バレ防止のため多少フェイクは入れさせていただいた。いわゆる「この物語はフィクションです」というやつだ。従ってこれは事実を元にした小説ということで了承を頂きたい。

では前置きはこの辺にして実際に書いていくことにする。

【次回につづく】

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