2023/08/12

ぼくが投資で3億ためてFIREした話〜2008年 リーマンショック その4~

     


 

それから数週間後、ぼくが記念で買った銘柄はどれもこれも、強烈な戻しを見せていた。経済が崩壊し恐慌や戦争も起きかねないこの状況を鑑み、政府が銀行を救済しFRBは一気に非伝統的な資産を買い入れる金融緩和を行ったからだ。これによりリーマンショックという、100年に一度級の資本主義の危機はようやく収拾に向かっていったのである。

 

結果的にいろいろな葛藤の中でぼくがやった行動は、暴落時に見込みのなくなった株を売ってこれから成長が見込める株に入れ替えるというものだった。実はこれ、運悪く暴落に巻き込まれてしまった場合に唯一できる最善の行動だったのである。

どんな時でも市場に居続けるのは株の鉄則だ。であれば、暴落時にできる事はこれしかないのである。ぼくは偶然そのような行動をとっていた。これにより資産は再び一千万円を回復し、ぼくは首の皮一枚で退場せずに済んだ。

 

ところで一般的な話になるが、人が成功するために必要な能力は二つあると思う。それはチャンスをチャンスとして認識できる能力と、チャンスを増やすために不断の努力を続けられる能力だ。結婚や仕事、その他なんでもそうだ。しかしながら、普通は最初の「チャンスを認識する事」もなかなかできないものである。

人はなぜチャンスを認識できずにスルーしてしまうのだろうか?ぼくが思うに普段から考えていないからだと思う。
 これはある人から聞いた話だが、人は見たものや聞いた事のほとんどを脳のどこかに記憶しているそうだ。確かに覚えようとしていなくても、この文章どこかで読んだことがあるな、とか、この景色どこかで見たような気がする、という経験は誰にでもあるだろう。でもそれは無意識の範囲の記憶であって、通常の生活で思い出されることはない。

しかし、何かについて必死に考えた後は、人は何かを見たり聞いたりした拍子にその無意識の中から関連するものが呼び起され、何かに気が付く、というか引っ掛かる感覚を覚えることがある。これがチャンスを認識するという事だとぼくは思う。

だからその無意識を最大限利用するには、常に解決したい事に関して問題意識を持っている必要がある。株についてもずっと考えていれば自ずとチャンスは見えてくると思う。

そして株の場合においては、暴落はチャンスなのだ。なぜそんな絶好の球を見送りにしてしまう?暴落は思いっきりバットを振るタイミングなのだ。しかも結婚や仕事では自らチャンスを作るための努力も必要だが、株式投資のチャンスは待つしかない。つまり発見するだけで良いのだ。これはある意味楽かもしれないのだから、チャンスと見たら思い切り動くべきだ。

 

さて、ここでやや唐突だが、この話のタイトルにあるようにぼくは最終的に資産3億を達成する。

この時の買い注文クリックは、まさにそれを現実のものとするための大きな分岐点だったといえる。一度諦めたその先でのこの買いは、資産どころかぼくのその後の人生そのものを一変させるほどの大きな分かれ道だった。まさに1クリック3億円の価値である。もしこの1クリックが無かったら、ぼくの人生は全く違うものになっていたはずだ。

なお、ふりかえってみれば目標を達成するために大きな分岐点は2つあった。その一つ目はまさにこの時、2つめの話はまた後ほどしよう。

【書籍(現在出版準備中)へ続く】

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2023/08/11

【重要なお知らせ:Twitter(現X)からの転載】

当ブログで連載中の「ぼくが投資で3億ためてFIREした話(仮)」が、なんと、彩流社さんより書籍として出版されることになりました!よろしくお願いいたします<m(__)m>。経緯を詳しく説明しますね。

この連載を始めて間もなく、SNSでお世話になっている方から出版のお誘いを頂きました。しかし私は本のネタを持っていなかったので、それなら今連載しているこの話はどうですかね?と提案したところ、編集者の方をご紹介いただきました。

そこで編集者の方に今後の展開を一通りお伝えしたところ、有難いことに非常に前向きなお返事を頂きました!

しかしひとつ気掛かりなのは、出版となるとどうしても無料のブログよりは手軽さという面で届く人の数は減ってしまう事。その点どうしようかな、と正直迷いました。

しかしまず出版はプロの編集者により格段にクオリティは上がります(これはありがたい)。そしてブログは瞬間的に消費されていくが、書籍は地道に長期間残ります。だとすると結果的にこちらの方が多くの人に届くのではないか?と思いました。

私としては「クオリティ高い物を出来るだけ多くの人に届けたい」のが一番ですので、総合的に判断して書籍化に全力を尽くすことにしました。

一方、ブログの連載はどうするのか?という点ですが、出版社と話し合ってこのままリーマンショックの章までは継続することをご了承頂けましたのでそこまでは続け、それ以降は書籍へ譲ることにしました。

書籍のボリューム的には、この後の展開の方が分量も密度も多いので、体感ですが公開済みの3倍くらいになると思います。

さらに書籍では、これまで公開してきた部分についても編集者の手で大幅に改善されることはもちろん、私自身も内容を加筆する予定ですので、ここまで読んでくれた方でも新しい発見ができるモノになるよう努力しています。

発売は今冬の予定ですので、その際はぜひ手に取って頂ければと思います<(_ _)>

著者名は「北原 銀二」となります!どうぞ宜しくお願い致します!

2023/08/05

ぼくが投資で3億ためてFIREした話〜2008年 リーマンショック その3~

     


 

それから数日後、ぼくはあるカフェにいた。仕方なく重い腰を上げて敗戦処理を始めるためだ。

パン屋と併設されているこのカフェの窓からは緑と湖が見え、早朝過ぎると客はまばらになる。これは少し気分を変えて仕切り直しについて考えるにはちょうど良い環境に思えた。相場を見ると吐き気がするのは相変わらずだったが、毎日自分の資産がめちゃくちゃになっていくのを見て見ぬふりするのはもっと辛い。ならば、とりあえずこの一番嫌な作業だけはなんとか終わらせて、終わった後にしばらく休もうと思った。

 

当時のぼくのポートフォリオの内訳は、中国株をメインに日本の配当株などをサテライトで投資したものだった。中国株の保有銘柄は日本人に人気になっていたものが中心で、特にヤラレがひどかったのが万科企業と言う不動産銘柄だった。たしか買値の10分の1になっていたと記憶している。

ぼくはまずこの万科企業を損切りした(※1)。1つ損切りすると少し気が軽くなって、この勢いに乗って日本株を含む他のものも損切りした。口座残高は見るも無残となっていたが、これ以上減ることがないと思うと少しほっとしたのは確かだった。

翌日、我に返ったぼくは、あれこれ考えていた。そこで初めて気付いたことだが、ぼくが投資していた中国株よりも震源地であるアメリカ株の方が断然ヤラレは少なかったのである。なぜ爆心地であるアメリカがのうのうとしているのに、ぼくが資産を数分の一に減らさなければならないのか。当時は納得がいかなかった。

 

少し脱線するが、これについて今現在思うところを少し述べる。

 

端的に言えばぼくは強烈なレパトリエーションに巻き込まれてしまったのだ。例えば市場規模が10A市場と、5B市場があったとしよう。投資家が両市場ともに3の量を投資していたとする。

それが今回のようなショックが起きて市場からお金が引き上げられた場合、市場に残るお金がどうなるかというとA市場が7/10B市場は2/5となる。通分すれば7/104/10だ。その結果、B市場の方がダメージは大きいのである。もちろんA市場がアメリカ、B市場が中国である。特にリーマンショック前まで中国株は世界中で人気だったので、相当の量が世界から投資されていたはずである。それが全部引き上げられたとなれば中国株がダメージを受けるのは当然だったといえよう。

ぼくはこうして煮え湯を飲まされてしまったのだ。しかしこれは、このあとぼくがアメリカ株に転向する一つの要因にもなった。

 

話を元に戻そう。

 

ぼくは残ったなけなしの600万円を前にこれからどうしようか悩んでいた。もう株は辞めるとしても、日本のどこにもこのお金の持って行き場所はなかった。そもそも株以外の投資先がなかったから株を始めたのだから当たり前である。でもその株ももうだめだ。

そう思いつつ、ぼくはパソコンを開いて虚ろな目でいくつか過去に欲しかった銘柄を見ていた。何か目的があって見ていたわけではない。考えがまとまらず、ぼくの指が長年の習慣から勝手に動いてパソコンを操作していただけだった。

そこにはどれもこれも、見るも無残な株価が並んでいた。一時はあれだけみんなが欲しかった憧れの銘柄。PERで割高になって買えなくなると、PSRで見れば妥当だとか、割安でなくても良い銘柄ならいつでも買う方が良いとか、誰もがむりやり自分を納得させてまで買った銘柄達。それらが全て、今まさに捨て猫のような株価で放置されていた。

 

ぼくが若い頃「たまごっち」という大ヒット商品があった。どこに行っても品切れで、入荷情報があれば店の前には徹夜で長蛇の列が出来た。一部では定価をはるかに上回る値段で取引されていたようだ。

しかしそのたまごっちもブームが過ぎると店頭に山積みとなった。投げ売りの末期では3個で1000円でも誰も見向きもしなかった。ぼくは心に何か悲しい思いがしたのを覚えている。このリーマンショックは、脳裏にそんな思い出がフラッシュバックするほどだったのである。

 

この時、ぼくはふと思った。ぼくのこの5年間の人生を捧げた記念として、また今回のこの過ちを忘れないようにするために、あえてこのゴミのように捨てられている株を拾ってやろうかと。

―――もうどうでもいいんだこんな金、こんな金持ってるから思い出すんだ―――

―――毒を食わらば皿までだ―――

そう思ったぼくは、そこに並んでいるアリババ、テンセント、Google、米国高配当株(のいくつかを纏めて自分でバスケットにしたもの)の中から、アリババ、Google、高配当株の3つを選んで200万円ずつ投資した。

 

なお、この時テンセントを選ばなかったのは、その後10年間の投資人生の中で最大のミスとなった。


1 このときの約定価格は、なんと万科企業のリーマンショックザラ場最安値。リーマンショック時の万科企業を最安値で売ったのは私でした。。。

【次回、リーマンショック編 最終回へ続く】

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