2023/08/05

ぼくが投資で3億ためてFIREした話〜2008年 リーマンショック その3~

     


 

それから数日後、ぼくはあるカフェにいた。仕方なく重い腰を上げて敗戦処理を始めるためだ。

パン屋と併設されているこのカフェの窓からは緑と湖が見え、早朝過ぎると客はまばらになる。これは少し気分を変えて仕切り直しについて考えるにはちょうど良い環境に思えた。相場を見ると吐き気がするのは相変わらずだったが、毎日自分の資産がめちゃくちゃになっていくのを見て見ぬふりするのはもっと辛い。ならば、とりあえずこの一番嫌な作業だけはなんとか終わらせて、終わった後にしばらく休もうと思った。

 

当時のぼくのポートフォリオの内訳は、中国株をメインに日本の配当株などをサテライトで投資したものだった。中国株の保有銘柄は日本人に人気になっていたものが中心で、特にヤラレがひどかったのが万科企業と言う不動産銘柄だった。たしか買値の10分の1になっていたと記憶している。

ぼくはまずこの万科企業を損切りした(※1)。1つ損切りすると少し気が軽くなって、この勢いに乗って日本株を含む他のものも損切りした。口座残高は見るも無残となっていたが、これ以上減ることがないと思うと少しほっとしたのは確かだった。

翌日、我に返ったぼくは、あれこれ考えていた。そこで初めて気付いたことだが、ぼくが投資していた中国株よりも震源地であるアメリカ株の方が断然ヤラレは少なかったのである。なぜ爆心地であるアメリカがのうのうとしているのに、ぼくが資産を数分の一に減らさなければならないのか。当時は納得がいかなかった。

 

少し脱線するが、これについて今現在思うところを少し述べる。

 

端的に言えばぼくは強烈なレパトリエーションに巻き込まれてしまったのだ。例えば市場規模が10A市場と、5B市場があったとしよう。投資家が両市場ともに3の量を投資していたとする。

それが今回のようなショックが起きて市場からお金が引き上げられた場合、市場に残るお金がどうなるかというとA市場が7/10B市場は2/5となる。通分すれば7/104/10だ。その結果、B市場の方がダメージは大きいのである。もちろんA市場がアメリカ、B市場が中国である。特にリーマンショック前まで中国株は世界中で人気だったので、相当の量が世界から投資されていたはずである。それが全部引き上げられたとなれば中国株がダメージを受けるのは当然だったといえよう。

ぼくはこうして煮え湯を飲まされてしまったのだ。しかしこれは、このあとぼくがアメリカ株に転向する一つの要因にもなった。

 

話を元に戻そう。

 

ぼくは残ったなけなしの600万円を前にこれからどうしようか悩んでいた。もう株は辞めるとしても、日本のどこにもこのお金の持って行き場所はなかった。そもそも株以外の投資先がなかったから株を始めたのだから当たり前である。でもその株ももうだめだ。

そう思いつつ、ぼくはパソコンを開いて虚ろな目でいくつか過去に欲しかった銘柄を見ていた。何か目的があって見ていたわけではない。考えがまとまらず、ぼくの指が長年の習慣から勝手に動いてパソコンを操作していただけだった。

そこにはどれもこれも、見るも無残な株価が並んでいた。一時はあれだけみんなが欲しかった憧れの銘柄。PERで割高になって買えなくなると、PSRで見れば妥当だとか、割安でなくても良い銘柄ならいつでも買う方が良いとか、誰もがむりやり自分を納得させてまで買った銘柄達。それらが全て、今まさに捨て猫のような株価で放置されていた。

 

ぼくが若い頃「たまごっち」という大ヒット商品があった。どこに行っても品切れで、入荷情報があれば店の前には徹夜で長蛇の列が出来た。一部では定価をはるかに上回る値段で取引されていたようだ。

しかしそのたまごっちもブームが過ぎると店頭に山積みとなった。投げ売りの末期では3個で1000円でも誰も見向きもしなかった。ぼくは心に何か悲しい思いがしたのを覚えている。このリーマンショックは、脳裏にそんな思い出がフラッシュバックするほどだったのである。

 

この時、ぼくはふと思った。ぼくのこの5年間の人生を捧げた記念として、また今回のこの過ちを忘れないようにするために、あえてこのゴミのように捨てられている株を拾ってやろうかと。

―――もうどうでもいいんだこんな金、こんな金持ってるから思い出すんだ―――

―――毒を食わらば皿までだ―――

そう思ったぼくは、そこに並んでいるアリババ、テンセント、Google、米国高配当株(のいくつかを纏めて自分でバスケットにしたもの)の中から、アリババ、Google、高配当株の3つを選んで200万円ずつ投資した。

 

なお、この時テンセントを選ばなかったのは、その後10年間の投資人生の中で最大のミスとなった。


1 このときの約定価格は、なんと万科企業のリーマンショックザラ場最安値。リーマンショック時の万科企業を最安値で売ったのは私でした。。。

【次回、リーマンショック編 最終回へ続く】

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