2016/04/26

上有政策下有対策

日本人の人口ピラミッドは高齢者が多く、まあ端的に言うと「終わってる」のですが、そうなると日本は民主主義である以上、高齢者に優しい政治となるのは必然です。

また日本人の資産分布も、貯蓄期間を差し引いても極端に高齢者に偏っているように見えますが、シルバー民主主義である間はここを奪うような政策はされないでしょう。

今の高齢者の生きた時代は普通に真面目にしていれば正社員になれましたし、定期預金も8%という超高利回り時代もありましたので、中流家庭でもひと財産築けたのは頷けます。

だから巷で老後破綻とか言ってますけど、それを見るたびに、その人は若い時いったい何をしていたんですか?キリギリスだったんじゃないですか?と私は真っ先に聞いてみたいです。
大多数の高齢者は若い時からアリのように真面目に働いていたからこそ、世代間でいびつな資産分布になっているんじゃないですか?

だからそんな報道は資産を十分に持ちながらも、さらに手厚い年金や保険の優遇の利権を手放したくない、という一部の高齢者勢力による世論操作だと私は見ています。

このような状況から、資産からの収入は低税率といった資産持ち高齢者に有利な政策は長期的に継続するだろう、という単純な発想で私は行動しているのですが、あまりにシンプルなロジックすぎて本当にこんなんで大丈夫かなぁとちょっと心配になることがあります。

でも、普通に世間をウォッチしていると、あながち間違っていないようですので、それならこの流れを自分の資産形成にどう利用できるか考えた方が得というものです。

今思いつく具体的な対策はなるべく早く労働収入から資産収入へと移行して使用人から脱出することですが、それには税制や資本市場の理解がまず必要でしょう。ほかにいい方法があれば教えて下さい。

※なお「上有政策下有対策」とは中国の諺で「上に政策あれば下に対策有り」という意味です。本来とはちょっと違う意味だったらしいですが、現在はそのような意味で使われることが多いようです。


<参考>http://www.stat.go.jp/data/zensho/2009/shisan/yoyaku.htm


2016/04/21

倒産リスクは無視

私は基本的にアメリカ中心の投資です。

アメリカのGDPは世界最大ですので、どうせ世界の市場はアメリカの調子次第で上げ下げするからです。

もっというなら、そのアメリカの市場で時価総額上位のものから10銘柄くらい選んで持てば十分じゃないかとさえ思っています。

こう言うとアメリカが吹っ飛んだらどうなるんだ!という心配があるかもしれません。

たしかにアメリカに巨大隕石が落ちたり、イエローストーンの火山が爆発したりすれば、それらの会社も全部潰れるでしょう。

じゃあやっぱり世界中の株に分散投資しておく方が安心かというと、そうでもありません。

だって、巨大隕石が落ちたらこうなるんでしょ。






つまり、そんな会社が全部つぶれるようなことが起きたら、どうせ自分も死んでいるんです。

だから、そんな株をひとたび買ったら、もう倒産リスクなんて私は知りません。


2016/04/18

インデックスETFは銘柄を絞って


株をやる人にとっては、株は「危険」「ギャンブル」「絶対近づきたくない」「騙される」と言われるのはもう聞き飽きたフレーズでしょう。

しかしながら、自身が株をやりながらもリスクに極度にこだわる人があって、そういう人は5000銘柄に分散するETFや、それでも飽き足らずにそういう感じで世界中の市場にまんべんなく投資するETFを買ったりします。

それでも長期的には儲かると思うので結果的にはOKだと思うのですが、そこまで心配することもないと思うのです。

取り越し苦労は寿命を縮める性格の筆頭ですので、もしかするとそういう性格の人は特に、時間が必要なインデックス投資には向いてないかもしれません。

また、ETFもあまり多数の銘柄を持つと解散や償還に会いますし、そこまでいかずとも普段から出来高をチェックしていないと流動性が下がっていつの間にかベンチマークとの乖離が大きくなったりして、それなりにして個別株並みに面倒なことが起きるんです。

という訳でインデックスを買うなら、私ならアメリカのS&P500だけのものを一つだけ持ちます。

2016/04/08

身分制度



近代では生まれによって身分が決まる社会が一般的でした。
日本でもほんの百数十年前までは、どの身分に生まれるかで人生の選択肢が限定される社会でした。

そんな時代に下級身分に生まれた優秀な人はさぞかし悔しかったでしょう。
そしてそのエネルギーは不条理な世を正すことに向けられ、命がけで活動し、現在の社会が作られました。

おかげで私たちは身分に関係なく本人のやる気と能力で、いくらでも自分の未来を切り開ける社会に生きているわけです。

しかしながら、それで全体の幸福量が増えたかと言うと、それは違うかもしれない、と思います。

身分制度があった時は、良くも悪くも余計なことを考える必要はなかったでしょう。
自分が豊かになれないのは社会が悪い、この身分に生まれてしまったから仕方ない、と他責にすることが出来たので「自分は悪くない」というプライドを保てたはずです。

それが、現代のようにやる気と能力があれば誰でもチャンスがありますよ、と言われてしまったら、自分が豊かでない=自分はやる気も能力が無い=自分はダメ人間、ということを認めざるをえません。

世の中の98%は豊かではありません。それはその分だけプライドをずたずたにされている人が居るということです。

すると身分制度から解放されて1%か2%程度の人にとっては確かに良かったとしても、他の98%が以前より苦しい思いをしているなら全体としてはひょっとして幸福度は減っているのかもしれません。

しかし(たぶん豊かになれないけど・・・)努力次第で豊かになれますよ、という夢を万人に見させているからこそ、人は腐らず努力してくれる訳で、おかげで生活水準の底上げが出来ているともいえます。

要するに世の98%の人は、ニンジンを目の前にぶら下げられ、走らされ続けた末に、結局食べられずに倒れる馬のようです。

そう考えると身分制度があった時のようにさっさと将来を諦めて、ニンジンなんかいらねーよ!と宣言して走るのを止めるのも一興じゃないでしょうか。

諦めてない人が提供する労働力で底上げされた社会にのるフリーライダーですので得なのは間違いないと思いますよ。

「そんな人生、楽かもしれないけど、いまわのきわに後悔しそう」と思うかもしれませんが、人類の歴史の99.9%の期間に生存した人は、生まれてから毎日起きてエサを取って食べて寝て死ぬだけの犬のような人生だったはずです。

考えてみればそれこそが人類のマジョリティな人生じゃないでしょうか。