2016/03/31

テクニカル分析はカルト宗教と思っています

この意見をけしからんと思われる方多数だとは存じていますが、あえて過激に表現するとテクニカル分析なんて言うものは、私は全部まやかしだと思っています。

唯一ちょっと群衆心理的に根拠ありそうと思うのは、最も単純な移動平均線のみであって、あとのゴチャゴチャした数式で出てくる様々な指標は全てゴミだと思っています。

その理由は、いつでも何らかの指標が先高・先安の両方のシグナルを出していますし、分析するスパンによっては同じ指標が逆のシグナルを出していたりするからです。

このため後付では価格変動の前に正しいサインを出していた指標はいくらでも見つかるのですが、判断時点でどの指標を採用すればいいか分からないのでは意味がありません。

そもそも考えてもみてください。テクニカル分析で必勝法が見つかるなら、どうして金融工学の粋を集めたアメリカの証券会社が100年たった今でも手数料で稼いでいるんですか。
テクニカルで勝てると思っている人は、ハーバード大卒の米投資銀行のクオンツに頭で勝てると思っているんでしょうか。


このように、投資においてテクニカル分析は不要というのが私の基本スタンスなのですが、そこで話を打ち切るわけにはいきません。なぜならチャートというのはどうも人を夢中にさせる何かがあるらしく、大ファンが多数いるのです。

すると何が起きるかと言うと、カルト宗教の集団自殺のようなことが起きるんです。
何も地球は滅んでいないのに「○月○日に地球は滅ぶ!」と信じている人が集団自殺してしまい、本当に死んでしまう事件がありました。

これと同様にチャートにおいても、ある節目をブレイクするとテクニカルの教科書に従ってその方向についていく人が多数いますので、本当に教科書通りに動くことが起こります。

じゃあなんだ、結局テクニカル分析は正しいんじゃないか、と思うかもしれませんが、チャート界には「ダマシ」という面白い言葉があるんです。

教科書通りに動かなくてあなたが大損した場合、「あれはダマシだった」の一言で終わりです。これが結構あるんですよね。

そんなことをサラっと言うテクニカルアナリストがいっぱいいますので、チャート分析のレポートなんていうものは「チャーティスト達はこの場面でどう考えているか?」という目線で見るものであって、決して内容を見るようなものではありません。

まあ、その際せいぜい押さえておくべきなのは、ほとんどのチャーティストが信じている「節目」と「ブレイク」くらいでしょう。
テクニカルは単にそう信じている人が多いからそう動く、というものですから信者の数が一番大事なのです。逆に言うと信者が分散している他の個々の細かい指標は全部スルーでOKです。

テクニカル分析とは「お札はみんなが価値があると信じているから価値がある」と同じようなものですね。



2022/12/13追記:
私はチャート分析は、買いたいと思っていた銘柄が下向きにブレイクしたときに使います。

こうするとチャーティスト達のおかげで本来ある価値以下のバーゲンセール状態がしばらく実現する場合が多いので、絶好の玉拾いチャンスになります。ごちそうさまです!



2016/03/21

株式市場は劣後しています

相場というのはいくつか種類がありまして、最低限押さえておきたいものを厳選すれば為替相場・商品相場・株式相場(と次点で債券相場)でしょう。

私のテリトリーは主に株なのですが、残念ながら株はこの3つの中では地位は低いのです。

例えば「円安になったから株が上がった」というのはよく聞くと思いますが、「株が上がったから円安になった」という日は無いでしょう。

つまり為替の方が株より上位なわけです。昨今は原油相場で株が翻弄されているように商品相場も株より上位です。

商品と為替も互いに影響し合っているものがあって、代表的なのがドルが下がるとNY金が上がるというやつです。これはもう、仕組み上は金利が上がると債券が下がるのと同じレベルで連動しています。


株式は為替と商品より劣後しているということは、言い換えると株をやるには為替と商品の相場勘の方が大事だということになります。
私はこれに気づくのに10年くらいかかってしまいました。遅すぎです。

また、私はチャーティストではないですが、流動性が高いか価値の担保が希薄な相場では基本的にチャートが大事なので、為替と商品ではチャートを重視しています。
私はこれに気づくにも、また5年くらいかかってしまいました。
もうアホですね。


さらに、株式相場の中でも序列がありまして、日本市場は米国市場に劣後しています。
「ダウが下がったから日経が下がる」はあっても、基本逆はないわけです。これは母から習ったので、最初から知っていました。最近は日経は上海にも劣後してきたようで残念です。

以上により私が一番イケてないと思うのは、日本の個別株を四季報片手に必死に研究して日本株だけをやるような、高齢者の投資家にありがちな投資方法です。

そんなのいくら研究しても為替と米株に翻弄されるだけですから、FXでデイトレでもしてた方がよっぽどスマートじゃないでしょうか。

そうはいっても株は超長期ではあんまりこの関係性を気にする必要がないのがいいところなのですが、数年単位の長期くらいでは結構効いてくるので、私は気を付けています。

2016/03/08

2位は1位の単なる引き立て役

株と言うものは基本的にそのセクターでトップの企業を買うものです。
でもトップの企業の株価は大抵高いのです。しかしそれでもフェアバリューの2位の株を買うよりはいいです。

なぜかと言うと、考えてもみてください。
あなたが何かを買おうとしたり、あなたが会社で何かを導入する担当者だった場合、わざわざ2位の会社の製品を買いますか?

基本、買わないでしょう。つまりそういうことです。

トップはトップであるがゆえに、さらにトップたる地位を確固たるものとしていきます。
ウサギとカメの話はウサギが怠けるからカメが勝ちますが、ビジネスの世界のウサギは全力で走り続けています。怠けるウサギはいないと思っておいたほうがいいでしょう。

だからどの会社も、ある特定の分野だけでも、どんなニッチな分野でもトップになろうと日々精進しています。

時代が変わってその「特定の分野」に光が当たるようになった時、それは「イノベーション」と言われて業界に地殻変動が起こります。

こういう会社を高い打率で当てられるのが一流の投資家ですが、これをコンスタントに当てられる人は私は思いつきません。


2016/03/06

流れ

「がんばろう○○」と聞いたら、いつも私はそこから逃げ出したいと思います。ここに居てはダメだ、と頭の中の警報が激しく鳴ります。

それは投資に限らず何事も流れというものが一番大事だからです。
この「がんばろう○○」という場面の背景には、たいてい悪い流れがあるものです。

流れが悪いとたとえ頑張って努力してもむなしい結果となりやすく、つらいです。

そもそも努力というものは、自分に良い流れを呼び込むためにするもので、努力だけで結果が出るのは中学生まででしょう。

高校生になったら努力で流れを作ってチャンスを増やし、リスク上等でチャンスを掴んで、それをモノにする運の方が大事です。そこまでやって、やっと結果につながります。
努力とはその試行回数を増やすための一つのファクターにすぎません。

それなら、ドラマじゃあるまいし現実の人生でなぜわざわざ逆風を跳ね返す努力をする必要があるでしょうか。マイナスの流れをプラスに変えるのは大変です。

同じ努力をするならゼロからスタートした方がましじゃないですか。
株だって、下がってるのを止めるのだって大変なのに、上げるのはもっと大変ですよね。

利己的ですか?そうですね、私もそう思います。

でもね、人生の時間は有限なのです。本当に「がんばろう○○」といっている仲間を助けたいなら、もっと違うことで成功して助けた方が早くないですか?

もしくは逆風が吹いている間は体の捻って向かい風をかわし、その間は素振りのような地道な努力を続け、順風を待つかですね。

決してガッツリと逆風に対峙してはいけません。


2016/03/03

マルチプル・コントラクション


株の何が面白いって、建前だらけの世間に対し人間の本音が生々しく露わになることです。

株の世界では昨日まで先頭に立って神輿を担いでいても、神輿に変調を察知すると頭のいい人から今度は逆に神輿の上に駆け上がっていきます。

すると、いつまでも神輿を担ぐ側にいたグズな投資家はその重みで潰されて死ぬわけです。

この神輿を担ぐというのがブル相場末期のバブルともいうべき状態で、ここでは市場平均PERがどんどん高くまで買い進められる祭りがおこります。このような状況をマルチプル・エクスパンションといいます。

しかしひとたび相場が冷静になるとその急にその流れが逆転し、今度は逆に平均PERはしぼんでいきます(マルチプル・コントラクション)。

この2つの間で業績はほとんど変わりません。市場参加者の先行きに対する期待が変わるだけです。

要するに高PERの株を担ぐなら、祭りをエンジョイしながらも、いつ神輿の上に飛び乗るか?ということを片時も忘れてはいけません。

また、株の世界の祭り(いわゆるバブル)は神輿以外にも様々なイベントがあり楽しいのですが、これは最後まで残っていた人にはお仕置きの掃除当番が待っているのです。

祭りは好きだが掃除はゴメンだという人は、祭りが終わる気配が出る前に帰らないといけません。気配が出たときは既に出口は殺到していて出られないからです。

ところが、早く帰りすぎると今度は自分が帰った後にメインイベントが始まったりして悔しい思いをするのですが、これは残った人からすると至福の脳汁ドバドバフィーバータイムでもあります。

こういう駆け引きも祭りを一層楽しくする一要因ですね。

まあ、どうしてもメインイベントが見たければ、お掃除当番上等でずっといるしかないですね(笑)