FIREを達成した管理人による思考の備忘録。著書『投資で「3億円FIRE」したぼくがすすめるたった2つのこと』
2015/01/29
私を株中毒にした母の思い出
気付いてみれば既に人生の折返し点を過ぎてしまった私ですが、振り返ってみれば半生で最も継続してきたものは株と言わざるを得なくなってしまいました。
なんでこうなったのかと言うと、それは間違いなく親の影響だったと思います。
私の亡くなった母親がかなりの株中毒だったからです。聞くところによると若い時に少しだけ証券会社に勤めていた経験からそうなったようです。
しかしながら、その腕前は超がつくほど「ド下手」でした。
基本、短期投機のチャーティストで、業績なんて二の次。雑誌の特定銘柄の煽り記事を見て株価がグングンと上がっていると我慢できずに飛びついて、高値掴みして損切り、というのが恒例のパターンだったようです。
現在の私の投資スタイルとは180度逆です。
そんな母の毎朝の日課といえば日経平均とお気に入り銘柄のチャートを方眼紙に追記することでした。
母は方眼紙を何枚もテープで継ぎ足して模造紙のように巨大になったチャートを食卓に広げ、訳の分からない自己流のトレンドラインを何本も引き、くどくどと中学生の私に講釈を垂れるのが常でした。
そのお気に入り株も今から思えばチャーティスト御用達の光通信やソフトバンク、そして訳の分からない小型株・新興株だったのが思い出されます。
そんな母もかなり前に亡くなったのですが、父が面倒がって遺産相続を放置していました。しかしいい加減やらなくてはと、亡くなってから数年も経ってようやく手を付け始めたのものの、母が使っていたのがネット証券だったため、父は良く分からん!とさじを投げ、私にお鉢が回ってきたのです。
そんな経緯で母の亡くなった後の口座内容を見る機会があったのですが、売買履歴を見る限り生前の株の利益はトントンかちょっと損したくらいだったようです。
それより口座を見ていて驚愕したのは、亡くなる2日前に新規に株を買っていたことです。もうすぐ死ぬというのに株を買うなんて、間違いなく私を遥かに超越する株中毒であり、戒名に「株証券院大姉」と付けなかったのが悔やまれました。
話を元に戻して、肝心の口座に残っていた株ですが、最も持ち高が多かったのがソフトバンクでした。やはりあのITバブル時の目の覚めるようなソフトバンクの高騰が忘れられなかったのでしょう。
ソフトバンクの長期チャート
その強烈な印象からか、ITバブルが崩壊した後から夢よ再びと買い増していたようです。
ところがそのソフトバンク、母の死後ボーダフォンの買収を行い、iPhoneを武器にガリバーNTTドコモを蹴散らし、圧倒的不利な状況から日本の通信業のトップになってしまいました。おかげで株価は母の買値の数倍になっており、数百万の利益となっていたのです。
おそらく母が生きていたら、ここまで利を引っ張るのは無理だったでしょう。どこかで我慢できずに利確し、そのあとグングン高騰する株価を見て地団駄を踏む姿が目に浮かびます。
チャーティストの短期投機家が3年も利を引っ張るのは文字通り死ななきゃできない荒行だったと言えるでしょう。
なにはともあれ、これにより母の生涯の株成績はプラスで終わることができたようです。
というわけで、振り返って見れば個別株の運用方法という点では母から何一つ学ぶ点は無かったのですが、口座を見て一つだけ母が偉かったと思ったことがありました。
それは資産の6割は国債で運用していたことと、決してレバレッジを掛けた取引をしなかったことです。
これにより、株の運用は目茶苦茶でも破滅することはありませんでした。
私もリスクはキャッシュの量で調節するのが何となく基本スタイルになっていますが、もしかすると母の影響なのかもしれません。
なお、私のキャッシュポジは現在61%です。
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