拙著で「家族など近しい人に資産額を公開するかどうか」についてコラムで書きました。結論は書籍のほうへ譲るとして、ここでは書籍では諸般の事情で入れ辛かった部分を補足として書きたいと思います。
私が思うにこの問題の根幹は、普通の人が持っている「投資での儲けはずるい儲けなのだから、それはあぶく銭である」という認識ではないかということです。
なぜ投資の儲けは「ずるい」と思われるのか。
それは、普通の人にとっても働いてお金を貯めることは大変だ、ということは自身も労働をした経験から深く同意できるが、それ以外でできたお金は働いた訳ではないのだから、楽に出来たあぶく銭である、という論法になっているのではないか、ということです。
なお、それならその「ずるい」方法は誰にでも開放されているので、あなたもやればいいのに、といっても絶対にしないのもご存知のとおりです。
つまり普通の人にとっては投資で得たお金は、前澤さんのお金配りでもらったお金や、ギャンブルや宝くじで当てたお金、相続で転がり込んできたお金と同列であって、「働いて得たお金とは種類(色)が違う」ということなのでしょう。いわゆるお金のメンタルアカウンティングです。
さらにその投資でできたお金が過去の出来事だったりすると、なおさらその認識に拍車がかかることになります。
まるで10年前に車にひかれそうになって危ないところだった、といった昔話程度で
「へーそうなんだ、運がよかったね」
「でも死ななくてよかったじゃん」
で終わりです。
投資で言えばリーマンショックで死にそうになりながらも1億儲けた、という事実があっても
「運がよかっただけだよね」
「で、とりあえず今そのお金残ってるんでしょ。じゃあ奢って」
となります。
とにかくこういう信念を固く持っている人に資産額をしられてしまうと
「私に奢ってくれて&貸してくれて「当然」であって、それをしないのは「ケチ」だ。だってあぶく銭だもの」
という反応が返ってきます。こうなるとあなたの評価は奢ってゼロ、奢らなけばマイナスとなり、どちらに転んでもプラスには1ミリもならないのです。なので、こういう人は絶対に資産額を知られてはいけない相手と言えるでしょう。
ところがまずいことに世の中には結構な割合でこういう人はいるように感じます。だって「投資はギャンブル」「額に汗して働く」というフレーズにあるように、そもそも日本では子供のころからこういう教育を受けていますからね。あながち本人のせいとも言えません。
それとは逆に今この記事を読んでいるような方は投資の経験があるでしょうから、投資の利益とはそんな簡単なものではないことは重々ご承知の事と思います。
それは長期に渡って節約を重ね、さまざまな誘惑に耐えて作った種銭を市場に晒し、リスクに対する恐怖を乗り越え、精神をすり減らし、修羅場を超えて手に入れた尊いお金である、と誰に教わるでもなく自身で気付いて理解していることと思います。
しかし残念ながらそんな認識は株クラの中だけでしか通用しないことを理解しておくべきでしょう。
私は書籍でこの世間の誤解を少しでも解きたいと、リーマンショックやコロナショック時に実際に投資家がどれだけの葛藤とリスクを負っていたかというエピソードを、これまでの本より丁寧に書いたつもりです。
なので、もしこれを読んで頂ければそういったところを少しは理解頂けると思うのですが、残念ながらそもそも普通の人には興味を持って読んでもらえない確率のほうが高いかもしれません。
そういうところに興味がないからお金が貯まらないのか、ある程度のお金が貯まらないから興味がわかないのか、卵と鶏の関係?なのかもしれませんが、この点は歯がゆいですね。
ただFIREが可能になる程度の資産を作った暁にはこの世間一般の認識を受け入れ、少し自分のことを俯瞰して周りがどう見ているのかを理解したうえで行動する必要があると思います。